大阪にソープランドはありませんが、飛田新地なら今もあります

花博と関西空港によって、大阪からソープが一掃された

1990年の大阪『国際花と緑の博覧会』の開催と関西空港の開港を理由に、条例を設けるなどして、大規模な浄化作戦が始まりました。その結果、大阪の60数軒あったソープランド店は、次々と摘発され、中にはファッションヘルス店に転業した店舗もあったようですが、全店廃業に追い込まれたのです。そのため、ソープランドを利用しようとすると、関西では滋賀県の雄琴か兵庫県の福原まで足を運ぶしかありません。

そして、“ちょんの間”飛田新地が残った

大阪には、ソープランドがなくても、飛田新地(とびたしんち)があります。飛田新地とは、街としての名前はなく通称です。地理的場所は、大阪市西成区山王3丁目一帯です。ここは、料亭街で実際に本物の料亭も存在するのですが、多くが料亭の看板を掲げ、実は“ちょんの間”なのです。

ちょんの間とは、“ちょっとの短い間に行為をする”ことを語源とする風俗店、その地区を表わします。また、“行為”とは、本番行為のことであり、買春ができるのです。しかし、料亭内で客と仲居とが恋におち、自由恋愛を行うという建前のもと、売春防止法を逃れ、営業を続けています。

飛田遊郭の歴史

飛田新地の歴史について、もう少し触れてみましょう。ここには、かつて遊郭がありました。飛田遊郭は、1916年(大正5年)に築かれ、2年後には100軒を数えるまでになっていたそうです。さらに、昭和初期にその数は、倍の200軒を超え、日本最大級の遊廓と言われました。その後、戦火を逃れ、赤線となりましたが、1958年の売春防止法施行により、飛田遊郭の多くの店が、料亭に転業、『飛田料理組合』を組織します。しかし、これは前述のとおり、同法を逃れるための表向きであり、建前です。それが、ソープランドのない大阪で今もなお続いているのです。

なお、飛田新地の大正中期から残る建造物や街並みは、歴史的価値が高く、中には国の登録有形文化財になったものもあります。もっとも“ちょんの間”であるため、気軽に散歩したり、写真を撮るような場所ではありませんが。

橋下徹と飛田新地の関係

“ちょんの間”飛田新地には、意外な有名人との結びつきがあります。それは、大阪都構想を大阪市民に受け入れてもらえず政界を去ることになった、あの橋下徹氏です。橋下氏は、かつて『飛田料理組合』の顧問弁護士を務めていたのです。組合の応接室には、彼を一躍有名にした人気テレビ番組『行列のできる法律相談所』に出演していた当時の茶髪姿の写真が、飾られているそうです。