“泡踊り”で知られる川崎・堀之内の歴史は、ソープランドの歴史そのもの

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川崎・堀之内は、吉原に次ぐソープランド街

川崎市の堀之内と言えば規模としては、吉原に及びませんが、それに次ぐ全国屈指のソープランド街です。

堀之内も吉原と同じように、最寄駅の川崎駅からソープランド街までは、少々距離があります。吉原は、いくつもの駅が、最寄駅となりますが、堀之内は、近くの川崎駅に、JR京浜東北線、東海道本線、南武線、京急本線、大師線が乗り入れており、多方面からの集客があり、また、ソープ嬢にとっては、人目を避けて出勤できるため、都合のいい立地と言えるでしょう。

川崎は、宿場町から青線を経て、ソープランド街へ

さて、ソープランド街“堀之内”は、多くの歓楽街、風俗街がそうであるように、江戸時代の東海道、宿場町からその歴史を始めました。人の往来が激しい宿場町ですから、旅館や茶屋ができ、遊郭が生まれます。近代になると遊郭は姿を消しますが、みなさんご存じの国立競馬場の建設によって、また、工業誘致によって多くの労働者が、川崎に流入し、歓楽街を形成していきました。こうなると人の性で、非合法の売春街、青線が拡大していきましたが、昭和33年の売春防止法によって、そのすべてが廃業してしまいます。このあたりは、風俗街の歴史で、よくある話です。

泡踊り発祥の地である川崎・堀之内は、ソープランドの歴史

川崎が、ほかの風俗街と大きく異なる点は、その後の風俗サービスにおいて、全国に知られるようなムーブメントを起こしたことです。つまり、ソープランドの前身“トルコ風呂”です。一号店ができると、瞬く間に、“川崎・堀之内=トルコ街”として定着しました。その名称変更については、トルコ人留学生ヌスレット・サンジャクリと後に環境大臣、防衛大臣を務めた小池百合子が、尽力したことで知られています。その後、トルコ風呂は、ソープランドに改称されるわけですが、堀之内ソープの名をさらに大きくしたのは、その性技でしょう。阿波踊りならぬ、“泡踊り”というシャレの聞いたサービスです。泡踊りは、川崎・堀之内が発祥の地と言われ、膨らませたエアマットの上を泡まみれのソープ嬢が、全身を使って男性客の身体を洗うというものです。今日では、肌の負担を軽減するためにソープ(石鹸)からローションに代わりましたが、川崎・堀之内の歴史は、そのままソープランドと言っても過言ではないでしょう。

川崎のソープランド店の数は、60ほどで、高級から中級、格安までの料金設定の店をそろっています。容姿やテクニックに合わせたお店選び、仕事選びができます。